旧「メルボルンに暮らす団塊世代が伝えるオーストラリアのゴルフ周辺見聞記」を拡大して、「…スポーツ周辺見聞記」 と改題しました。サッカー、ラグビー、競馬など手を広げます。お楽しみに。
全豪オープンテニスにスター誕生
全豪オープンテニスにスター誕生

メルボルンでは、国際的なスポーツイベントが毎年いくつか開催
される。全豪オープンテニス大会は、夏の風物詩になっている。

その昔は、メルボルン郊外のクーヨンの天然芝コートで開催された。
青々とした芝は眼に優しく、会場は適度の大きさで選手と観客の
距離が短かく、プレーの息づかいが密接に伝わってきたものだ。

その後、大会の規模拡大と共に、会場が街の中心部に近いヤラ川
沿いに新しく建設された。 このときに、コートはケミカルに
替わってしまっている。管理維持のためとはいえ残念なことだ。

今年の全豪オープンテニス大会は、面白い。お馴染みの顔ぶれが
次々と表舞台を去り、世代交代が進んでいることを感じさせられる。
これが、一過性のものか、定着するものなのかは、もう少し観察
の必要があるだろう。

24日の全豪オープンテニス男子シングルス準決勝は、ノーシードで
世界38位ジョーウィルフリード・ツォンガ(フランス)が世界ランク
第2位のラファエル・ナダル(スペイン)に異例の力の差を示し圧倒的
な強さで勝ち、決勝に進んだ。

もう一つの準決勝は25日、第3シードのノバク・ジョコビッチ
(セルビア)が第1シード、ロジャー・フェデラー(スイス)を
こちらもストレートで破り、フェデラーの3連覇の夢が潰えさった。

この二人のプレーヤのうち、ツォンガ(ソングとも発音されるようだ)
の、好調振りが印象的だった。 試合中から、解説者が「いつまで
この試合ぶりが続くでしょうか」と、いつ油切れが来るかと懸念して
いたのだが、最後まで走りきってしまった。

ゴルフのタイガー・ウッズのように、新しい時代を開く寵児として
今後の世界テニス界に君臨する存在となるのか、27日の決勝戦が
楽しみだ。

力押しに見えるノバク・ジョコビッチに対し、緩急を織り交ぜ7割
程度の力で打ち合いここぞの場面で鋭く相手コートを衝く
ジョーウィルフリード・ツォンガの試合運びは、特異な存在とおもう。

今のテニス界は、決勝に残るには大型の体躯に加え「腕力」「敏捷性」
「走力」での力押しが不可欠に見える。ツォンガもその例に漏れない。但し
彼にはプレー振りと試合運びに緩急という「プラスアルファ」の
面白さがある。

モハメド・アリに似た風貌で、試合の間は険しい眼光も見せる。
勝利したときの表情を楽しみにしていて欲しい。とても柔らかいの
だ。新スターの誕生である。

テーマ:テニス - ジャンル:スポーツ

鮫に襲われるオーストラリア サーファー
に襲われるオーストラリア サーファー

メルボルンから西へジーロングを経由して2時間ほどで
オーストラリアにおけるサーフィングのメッカである
ベルスビーチに着く。

ここはトーキーと共に、外洋の荒波が押し寄せその形状が
サーフィングにはとても適しているとのことで、日本にまで
知られている。

到着後間もない日本からの訪問者の何人かから、ベルスビーチ
への行き方を唐突に訊かれて、とんとサーフイングには疎い
こちらは戸惑わされたのだ。

ゴルフ場主の草取り
ゴルフ場主の草取り

ゴールドコーストに日本資本で初めてのゴルフコースを開いた
企業の社主とプレーを一緒したときのことだ。

突然しゃがみこんでコースの雑草を抜いているのをみた。新しくて
手入れの好いコースで雑草は極めて少ないのだが、それでも見つか
ったのが気になるらしい。

たたき上げで、強面(こわもて)の我が道を行く典型的なワンマン経営者
の人物であったが、私にそんな様子をみられたことに照れたらしい。
他人のゴルフ場では、先ずこんなことはしないのだが、自分のゴルフ場
だと放っておけなくて、と無邪気な笑顔で好人物の一面を私に見せた。

熱血漢星野仙一氏との約束
熱血漢星野仙一氏との約束

ゴールドコーストのパームメドウスゴルフコースで1987年頃星野氏と
ゴルフの機会があった。暑い日でバミューダパンツで現れたのを憶えている。
身体はそれほど大きい印象はなかったが、がっしりしていた。

流石に運動神経抜群で、卒のないプレー振りだった。しかし一緒に時間を
過ごしていて居心地の好い、温かいお人柄なのだ。いっぺんに魅了
されてしまった。 人間が、ぎらつかないのだ。本物は質が違う。
中途半端は背伸びをする。大きく見せようとするから見苦しくなる。
背伸びをする手合いは、恰も立ち上がったエリマキトカゲのようでもある。

バブルと日本型ゴルフ場
バブルと日本型ゴルフ場

バブルが華やかな頃或るマンション開発の大手の企業がパーム
メドウスゴルフ場をゴールドコースト(GC)に建設した。
当時のGCにはそれなりに満足できるゴルフ場は数が少なく、
またビジターを十分に受け入れる態勢になかった。

ゴールドコーストの中心からほど近い内陸部のカラーラに簡素な
カーレース場があり、それを買収しその地域を中心にゴルフ場の
会員権と宅地をセットにして開発されていた。

コースの設計者である豪州人プロゴルファー グラハムマーシュは、